2012/01/27

感じて撮る

昨年末、写真撮影やコラボレーションをさせて頂いているアーティスト
重富 豪さんが仏 ルーブル美術館内、カルセール・ルーブルにて行われた
ナショナル・デ・ボザール展に日本国庇護の元、代表招待作品として
作品展示をされました。
私もその現場の撮影もあり初めてヨーロッパへ行ってきました。

自然だけでなく、建造物含めどこもかしこも絵になる風景。
何も見ないでシャッターを切っても素敵な風景が撮れてしまうような場所が
沢山ありました。

パリに着いて写真を撮り始めてすぐに気がついたこと、
それはシャッター音が違ったこと。
シャッターメカが動いた時になるあの”パシャ”という音がとても
軽快で軽やかな音になった。それは湿度の低さによる影響です。
楽器などと一緒ですね。

日本にいるときには聞いたことがないその軽やかな音に
撮影するタイミング、自分の気持ちも変わってきます。

視覚という目で見た情報だけで写真は普段撮っているように思いますが、
実はどこから聞こえてきた音に反応してシャッターを切ったり、
香りがした方向を向いてシャッターを切ったり。
視覚だけではない他の感覚に沢山影響されて撮っているということを
気づかされます。

写真はカーヴ(ワイン農家)で試飲をさせていただいるときのものです。
これがまた美味しい。気分が良くなりまた写真も良くなる。

2011/11/05

振り返る

私が写真を撮り始めたきっかけは愛犬遥の成長を撮るためでした。
そんな遥も9歳。大型犬としてはだいぶいい歳になってきています。

それなりにくたびれやすくなってきていて
家でものんびり寝ていることが増えました。
そんな遥を観ていると遥の若い時を振り返り
自分自身のその頃を振り返ったりするものです。

遥も振り返ったりしているのでしょうか?
人は過去を振り返ることが出来るけれど動物は出来るのでしょうか?
断片的に恐怖を思い出したり、覚えて反応はするけれど人間のように振り返って
反省したり懐かしんだりできるのでしょうか?

振り返ったり思い出すとき、写真であったり臭いであったり音であったり、
何かきっかけがあると思い出しやすいものですよね。

きっとこの写真も将来見たら自分の過去と遥の過去を結んでくれる
大切な1枚になるのでしょう。そしてその過去を振り返って今を考えるのでしょうか。


2011/10/22

遺影

先日エンディングノートという映画を見てきました。
がん宣告されたお父さんが書いたエンディングノート(死後誰に連絡をして欲しいなど段取りリスト)
そしてお父さんの最後の瞬間までを家族と共に撮り続けたドキュメンタリー映画です。
撮影、監督は実際の娘さん。
家族というもの、そしてその家族一人一人の役割を感じる作品でした。

私は昨年、祖父を亡くしたときの自分の経験と照らし合わせながら見ていました。

祖父、その前年に亡くなった祖母の遺影は自分が撮影した写真を使いました。
と、言ってもちゃんと遺影用に撮ったものではなく誕生日などのお祝いの際に自宅で撮った
家族写真でした。

祖母が亡くなったときには数ある家族写真から祖父に祖母らしいと思う写真を選んでもらい、
祖父が亡くなった時は両親と写真を選びました。
奇しくも選んだ写真は祖母の遺影に使ったのと同じ家族写真になりました。

通常葬儀屋さんに家族写真を渡すと切り抜いて遺影にしてくれるわけですが、
考えてもいないところで自分の仕事が役に立つ物で、切り抜きは自分でやりました。

それだけでなくあごの下の影を薄くしたり、髪を少し整えたり。
死に化粧ならぬ遺影化粧とでも言いましょうか。

お香典返しの中に入れる冊子の表紙写真なども自分で撮影した写真を使って印刷まで
しまして、まさかこんなカタチで祖父、祖母に最後に関わり、
すこしはおじいちゃん、おばあちゃん孝行出来たのかな?と。

普段顔の修正などはしないのですが、このときばかりは修正したり出来る
自分で良かったとちょっと思ったものです。

沢山写真が残っていると色々な思い出がよみがえってきて辛いときもありますが、
その倍その写真を見て色々な人が自分が知らない思い出話をしてくれたりします。
そんなときやっぱり沢山写真を残しておいて悪いことはないと思ったりします。


お香典返しの中に入れた写真

2011/10/07

感じたとおりに写してみる

目で見えているとおりに写す。

自分が心で感じている通りに写す。

二つの方法があると思います。

たとえば花火。

目では確かに皆さんと同じように見えているし
そのままを写そうと思えば写せる。

でもどうも普通に目で見たとおりに残してもなんだか違和感を感じる。
自分の目ではそのように見ているけれど心で感じている心の目では
もっとお花のように鮮やかで、包まれるような大きな爆発。
そんなふうに感じてる。

時には目で見えているとおり撮るのではなくて
自分が心で感じたものに近づけて撮るとまたおもしろいと思います。

2011/09/11

選ぶアート?

画面に何を入れるかを選び。

撮りたい表情や光が来るのを待って瞬間を選び。

今度は撮ったいくつもの写真から人に見せる写真をを選ぶ。

写真って選ぶアートでもあるような気がします。


2011/08/31

瞬間をいくついれよう


写真=瞬間
というイメージありませんか?
僕もそういうイメージがありました。

でもよく考えてみるといくつもの瞬間をあの1枚に詰め込んでいる、
まとめたものが写真だとおもうのです。

写真を撮るとき、シャッター速度というものを決めます。
皆さんが撮るときにも自動でカメラが決めてくれています。
どのぐらいの時間光を取り込めば見た目と同じような明るさで撮れるか。
カメラが自分で判断して決めてくれています。

このシャッター速度を変えて、自分が感じた、伝えたいことが伝わるような
速度に自分で設定して普段撮っているのわけです。

犬が走っている時にその姿を止めて瞬間撮りたい時は1/6400秒などとても早い
シャッター速度で切ります。(光を取り込む時間が短いということ)












逆に花火などは爆発して光の線が消えるまで3~5秒のシャッター速度にします。
それだけ長い時間光を取り込むということです。
















どちらも1枚の写真になるわけですが、前者は1/6400秒間の時間を詰め込んだもの。
後者は4秒間を詰め込んだ写真です。

なので写真は動画でもなければ、人がイメージする”一瞬”でもなくて
一瞬の時をいくつも詰め込んだものが写真だったりします。
いくつもの時を1枚で見せる。なんだかおもしろいです。

言い換えると僕は撮るときに、自分が感じたものを1枚の写真に残すには
どれだけの”時”を詰め込んだらいいかを考えて撮っていると言い換えられます。

さて今日はどんな時の小包作ろうかな。

2011/08/02

共感

日本でも屈指の腕を誇る版画職人さんの工房に伺いました。

小学生の頃に学校で木版画をやっただけでそれ以降版画とは接点がなかったのですが、
先日この職人さんの版画を見て驚きました。
インクが何十にも重なって出される立体感や空気感。とても緻密で細かい制作過程。
そしてその職人さんの素晴らしさは、原画を描かれたアーティストの気持ちをしっかり
くみ取ってリトグラフを作成されるところ。脱帽です。

お互い共通する趣味があり、版画のことからはじまり、写真、音楽の話と盛り上がりました。

版画を刷るとき、写真を撮るとき、音楽を奏でるとき。
どれも共通する感覚、とらえ方があるようです。
職人さんの話される版画への考え方、音楽への考え方
どれも自分はとても共感できる内容ばかりで話に花が咲きました。


写真を撮っていて画面に何か要素が足りない。もしくは多い。
そんなときは時に頭の中で昔やっていた音楽に置き換えて、
何の音を増やそう?どの音を減らそう?
どうしたらまとまるか。と音楽に置き換えてみたりします。

そういった過去の経験が今の自分の写真にも活かされています。
過去があっての今の自分、今の自分は未来の自分なんですね。

本物の職人さんの仕事をみて沢山気づきをもらいました。