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2011/10/07

感じたとおりに写してみる

目で見えているとおりに写す。

自分が心で感じている通りに写す。

二つの方法があると思います。

たとえば花火。

目では確かに皆さんと同じように見えているし
そのままを写そうと思えば写せる。

でもどうも普通に目で見たとおりに残してもなんだか違和感を感じる。
自分の目ではそのように見ているけれど心で感じている心の目では
もっとお花のように鮮やかで、包まれるような大きな爆発。
そんなふうに感じてる。

時には目で見えているとおり撮るのではなくて
自分が心で感じたものに近づけて撮るとまたおもしろいと思います。

2011/08/31

瞬間をいくついれよう


写真=瞬間
というイメージありませんか?
僕もそういうイメージがありました。

でもよく考えてみるといくつもの瞬間をあの1枚に詰め込んでいる、
まとめたものが写真だとおもうのです。

写真を撮るとき、シャッター速度というものを決めます。
皆さんが撮るときにも自動でカメラが決めてくれています。
どのぐらいの時間光を取り込めば見た目と同じような明るさで撮れるか。
カメラが自分で判断して決めてくれています。

このシャッター速度を変えて、自分が感じた、伝えたいことが伝わるような
速度に自分で設定して普段撮っているのわけです。

犬が走っている時にその姿を止めて瞬間撮りたい時は1/6400秒などとても早い
シャッター速度で切ります。(光を取り込む時間が短いということ)












逆に花火などは爆発して光の線が消えるまで3~5秒のシャッター速度にします。
それだけ長い時間光を取り込むということです。
















どちらも1枚の写真になるわけですが、前者は1/6400秒間の時間を詰め込んだもの。
後者は4秒間を詰め込んだ写真です。

なので写真は動画でもなければ、人がイメージする”一瞬”でもなくて
一瞬の時をいくつも詰め込んだものが写真だったりします。
いくつもの時を1枚で見せる。なんだかおもしろいです。

言い換えると僕は撮るときに、自分が感じたものを1枚の写真に残すには
どれだけの”時”を詰め込んだらいいかを考えて撮っていると言い換えられます。

さて今日はどんな時の小包作ろうかな。

2011/07/21

写真って自由

写真って絵画のように”洋写真”とか”和写真”という区別が無いですよね。

こうやって撮ったら”和”このように撮ったら”洋”なんてものが存在しない。
なんだかとっても自由な存在に思えてなりません。

音楽と同じように国境が無い感じです。
日本人の方に見ていただいても、海外の方に見ていただいても同じように
好き!!いまいち!と反応が来て同じように会話が出来る。

まだ写真は150年ぐらいしか歴史がないものなんだそうです。

撮影機材はこの150年でずいぶんと進化しました。
けれどまだまだ”写真”というもの自体は成長途中なのかもしれません。

2011/07/19

大切にする気持ちが生まれた

私写真家なんです。

そういってお話を始めるとかなりの確率で聞かれる事があります。
「遠いところまで撮りに行かれるですか?」

写真家=遠いところの綺麗な物をとりに出かける
というイメージが強くあるのかもしれません。
僕もありました。誰もこないような山奥や秘境に行って撮影するイメージ。

私の場合は真逆なんです。
身近なところで撮影した写真達。
Galleryに載せてある写真のほとんどが自分の身近にある風景達です。

遠くに行かないと美しい景色、知らない風景はないのだろうか?
そんな疑問を抱き、自分の足元、身近なところを見直すところから始めました。
庭、家族、毎日通る道。
写真コンテストで賞を頂いたこの写真も玄関先にあった鉢に植えられた植物です。
気づいていないだけでありとあらゆる場所に様々な美しさは潜んでいるのだと思います。


















身近なところのに美しいものを発見したときに自分にこんな変化が起きました。
それは”大切にする気持ちが生まれた”ということです。

綺麗!!またみたい!だから大切にしたい!残したい!

今までなんでもなく見ていた植物やその存在を急に今まで以上に愛おしく感じて
大切にしようという気持ちが生まれました。

2011/07/09

引いたり寄ったり

写真を始めてから人や物の見方が色々と変わりました。

例えば人と話をしているとき、頭の中ではグーッとズームレンズで寄ったイメージで
その人の表情や雰囲気を見ていたり、話も含めてとても俯瞰で離れた位置から見てみたり。
360度頭の中で視点を変えてみたり。
普段から写真を撮るイメージで人を見ることが増え、色々な角度から見る癖がつきました。

話の内容も同じようにちょっと客観的な目線で聞いてみたり、方向を変えてみたりと
内容にまで変化が生じてきました。

昔から知っている道や人も違う視点で見て見ると、新たな発見があるものです。

そんな発見があった時に限ってカメラ持っていなかったり。。。結構ショックだったりします。。。

2011/07/07

あたりまえはあたりまえじゃない

東日本大震災後、水や食品がスーパーから一時的に消えた。
いつも当たり前に絶対に売っていると思っている物が無いのは
不思議な感じでした。

いかにあたりまえにある物がそう簡単に
そこに存在しているわけではないということを実感する日々。

先日、非通知で携帯が鳴り出てみると、海外に行った友人からでした。
まったく想像していない人からの電話。メールはしていたけれど、
急に電話で声を聞くとまるで隣に友人が現れたような感覚になりました。

遠く離れたところからの電話なんて当たり前にしてたのに、
このときは電話という直接声が聞こえることのありがたさを感じた瞬間。

あたりまえにいる家族や愛犬
あたりまえの空や風景

そのあたりまえが病気をしたり台風が来れば見たこともない表情やカタチ、
色や音を見せることがある。
普段のあの表情、風景はあたりまえじゃなかったんだ!と気がつく瞬間。

いつでも撮れそうな写真は意外といつでも撮れなかったりする。
遥のこの表情も9年一緒にいてもこの1枚でしか見たことがない。
いつでも撮れそうなのに。